【茶器/茶道具 帛紗(服紗・袱紗)ふくさ】 使い帛紗 朱 無地 土田友湖作  【smtb-KD】
【茶器/茶道具 帛紗(服紗・袱紗)ふくさ】 使い帛紗 朱 無地 土田友湖作  【smtb-KD】
価格: 15,120円
販売元: いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

配送●12:00までのご注文で翌日お届け予定(九州?関東まで)●午前中注文:当日発送対応は宅配便のみ(メール便不可) サイズ約縦27×横28.5cm 素材絹100%(正絹) 箱タトウ紙 注意画面の色とは多少異なります。   (申山・15120) 【コンビニ受取対応商品】【ふくさ】 ◆※【12代(当代)土田友湖 本名:陽三】◆ 土田家11代土田半四郎氏の次男 1939年昭和14年生まれ 1965年昭和40年に12代目を継承する 千家十職 土田友湖(つちだゆうこ) とは千家十職の一つ、袋師 【使い帛紗】 【仕立て方は、三方縫いで縫い目のない折りめの一辺をわさといいます。】 【帛紗には、「使い帛紗」と「出し帛紗」があります。】 帛紗の色【男性:紫色 & 女性:朱色 & 年配者:黄色】 利休が小田原出陣の折、妻の宗恩が棗を包んで送った帛紗の寸法を一定とした。 帛紗は利休の弟子塩瀬宗味の工夫により用いられた。 帛紗さばきは茶器を拭き清めるために折りたたむ所作を云い、器の扱いにより、真行草のさばき方があります。 ・・・・<参考資料>・・・・ ●【表千家流】 ※、帯に着けた帛紗を、左手で、下から三分の二ほど折り上げ、それを半分に折り下げて、帯から抜き取ります。 ●【表千家流】帛紗のたたみ方 一、縫い目のない「わさ」を左にして、人差し指と親指で帛紗の上の両角を持って広げます。 二、左右の手を合わせるようにして、手前に二つ折り(折り目が向うになる)にします。 三、角を右手で持ち、左手を滑らせて端を持ち、折り目を下にして、横にします。 四、更に、これを手前に二つに折ります。 五、前と同じ要領で持ち替えて、四つに畳んだ折り目を下にして横にし、更に手前に八つ折にします。 六、折り目の方を奥及び下にし、ばらばらの方を上及び外の方にして懐中します。 ・・・・・・ 【出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より】千家十職 土田友湖(つちだゆうこ) とは千家十職の一つ、袋師。 茶道に関わり三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする塗り師・指物師など十の職家を表す尊称である。明治期に現在の十職に整理された。(大正時代に三越百貨店が命名したという説もある) ・・・・・ 一、武士を廃業後、「越後屋半兵衛」と名乗って西陣織仲買人となった。その傍ら袋物の仕立ての修行をし、表千家六代・覚々斎に引き立てられて茶入の仕覆などを縫うようになった 一、土田 友湖(つちだ ゆうこ)は、千家十職の一つ、袋師。二代以降、当主の通称は半四郎 であり隠居して剃髪すると友湖を名乗る。五代までは仕服を生業とした 土田友湖は袋師で、十二代(1965年に襲名)、現在は茶道具の茶入の仕覆(しふく)や、服紗、角帯などを作る。 ・・・・・ 「千家十職」袋師 ※初代:越後屋半兵衛を名乗る  表千家6代:覚々斉宗匠に引き立てられ茶入れの仕覆などを縫う  後に7代:如心斎より友湖の号を贈られた。 ※2代:半四郎(1736年 – 1757年、法号:了圓)  初代不染斎の子、初代在世中に没す  二代以降、当主の通称は半四郎であり隠居して剃髪すると友湖を名乗る ※3代:半四郎(1746年 – 1784年、号:一得斎友甫)  初代の甥。丁字屋嘉兵衛長男。了圓の養子 ※4代:鶴寿院貞松(1719年 – 1801年) 二代半四郎の姉・くに  3代半四郎の子供が幼少のため、表千家8代:啐啄斎の命により家業継承  1788年、天明の大火により家屋を焼失するが、啐啄斎の援助により再建 ※5代:半四郎(1778年 – 1825年、号:伸定、蓮乗) 三代一得斎の長男  この頃、室町一文字屋三右衛門、笹屋勘右衛門など服紗を扱っていた家 が断絶したため、表千家9代:了々斎の計らいにより服紗も扱い始める ◆(五代までは仕服を生業としたが、以降は茶道具の茶入の仕覆(しふく)や、服紗、角帯などを作る)◆ ※6代:半四郎(1803年 – 1883年)五代の子  天明の大火で焼失した家系図や秘伝書の再編さんを薦めるが、 蛤御門の変に遭遇、再び家屋及び家伝などの一切を消失 ※7代:半四郎(1835年 – 1911年、号:聴雪) 西垣家出身。養子として土田家に入る  表千家11代・碌々斎の引き立てを受ける。樂慶入と親交が深かった ※8代:半四郎(1861年 – 1911年、千之助 号:淡雪)  七代の長女・阿さの婿養子。養父・聴雪を亡くした一月後に没す ※9代:半四郎(1892年 – 1914年、安治郎)  八代淡雪の次男。22才の若さで亡くなる ※10代 浄雪院妙要(1859年 – 1940年) 七代聴雪の長女、八代の妻である阿さ  夫・長男・次男の早世及び後継者の三男が幼少のため、家督継承 ※11代:半四郎(1902年 – 1965年) 八代淡雪の三男、良三  1940年昭和15年十代当主で母の阿さが亡くなったため家督継承するが、  太平洋戦争勃発により幾度も召集される。終戦後、ようやく茶道復活の兆し が出始めた昭和  29年(1954年)に病に倒れ、以後は入退院を繰り返し、家業に専念できぬまま世を去る ※12代:半四郎(1939年 – ) 十一代良三の次男 陽三。当代土田友湖  寛保四年に現在の地に居を移し、脈々と現在に伝える ◆※【12代(当代)土田友湖 本名:陽三】◆ 土田家11代土田半四郎氏の次男 1939年昭和14年生まれ 1965年昭和40年に12代目を継承する ・・・・・<参考資料>・・・・・ ●【千家十職の一覧】以下の職方 一、茶碗師 − 樂吉左衛門 一、釜師 −– 大西清右衛門 一、塗師 −– 中村宗哲 一、指物師 − 駒沢利斎 一、金物師 − 中川浄益 一、袋師 −– 土田友湖 一、表具師 − 奥村吉兵衛 一、一閑張細工師 −– 飛来一閑 一、竹細工・柄杓師 − 黒田正玄 一、土風炉・焼物師 − 西村(永樂)善五郎・・・・・



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