【茶器/茶道具 帛紗】 正絹 朱 無地 土田友湖作(千家十職 袋師) (服紗・袱紗・ふくさ)
価格: 17,050円
販売元: いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
重量約39g(10.4匁) サイズ約縦27×横28.5cm 素材絹100%(正絹) 作者土田友湖作(千家十職 袋師) 箱化粧箱・たとう紙 注意●画面の色と実物の色合いが異なって見える場合があります。 ●裂地の取る位置により柄の出方は換わります。 (野0輪大・の野丸り・25600) 【コンビニ受取対応商品】仕立て方は、三方縫いで縫い目のない折りめの一辺をわさといいます。 帛紗の色は男性 紫&女性 朱又は赤 千家十職とは 茶道に関わり三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする塗り師・指物師など十の職家を表す尊称である。明治期に現在の十職に整理された。(大正時代に三越百貨店が命名したという説もある) 土田友湖(つちだゆうこ)とは 武士を廃業後、「越後屋半兵衛」と名乗って西陣織仲買人となった。その傍ら袋物の仕立ての修行をし、表千家6代・覚々斎に引き立てられて茶入の仕覆(しふく)などを縫うようになった。 2代以降、当主の通称は半四郎 であり隠居して剃髪すると友湖を名乗る。5代までは仕覆を生業とした 袋師で、12代(1965年に襲名)、現在は茶道具の茶入の仕覆や服紗、角帯などを作る。 利休が小田原出陣の折、妻の宗恩が棗を包んで送った帛紗の寸法を一定とした。 帛紗は利休の弟子塩瀬宗味の工夫により用いられた。 帛紗さばきは茶器を拭き清めるために折りたたむ所作を云い、器の扱いにより、真行草のさばき方があります。 「千家十職」袋師 【初代 越後屋半兵衛】 名乗る 表千家 6代 覚々斉宗匠に引き立てられ茶入れの仕覆などを縫う 後に7代 如心斎より友湖の号を贈られた。 【2代 半四郎】 1736年-1757年、法号:了圓 初代 不染斎の子、初代在世中に没す 2代以降、当主の通称は半四郎であり隠居して剃髪すると友湖を名乗る 【3代 半四郎】 1746年-1784年 号:一得斎友甫 初代の甥。丁字屋嘉兵衛長男。了圓の養子 【4代 鶴寿院貞松】 1719年-1801年 2代 半四郎の姉・くに 3代 半四郎の子供が幼少のため、表千家 8代:啐啄斎の命により家業継承 1788年天明 大火により家屋を焼失するが、啐啄斎の援助により再建 【5代 半四郎】 1778年-1825年 号:伸定、蓮乗) 3代 一得斎の長男 この頃、室町一文字屋三右衛門、笹屋勘右衛門など服紗を扱っていた家が断絶したため、表千家8代 了々斎の計らいにより服紗も扱い始める 5代までは仕服を生業としたが、以降は茶道具の茶入の仕覆(しふく)や、服紗、角帯などを作る) 【6代 半四郎】 1803年-1883年 5代の子 天明の大火で焼失した家系図や秘伝書の再編さんを薦めるが、 蛤御門の変に遭遇、再び家屋及び家伝などの一切を消失 【7代 半四郎】 1835年-1911年、号:聴雪 西垣家出身。養子として土田家に入る 表千家 11代 碌々斎の引き立てを受ける。樂慶入と親交が深かった 【8代 半四郎】 1861年-1911年 千之助 号 淡雪 7代の長女・阿さの婿養子。養父・聴雪を亡くした一月後に没す 【9代 半四郎】 1892年-1914年 安治郎 8代 淡雪の次男。22才の若さで亡くなる 【10代 浄雪院妙要】 1859年-1940年 7代 聴雪の長女、8代の妻である阿さ 夫・長男・次男の早世及び後継者の三男が幼少のため、家督継承 【11代 半四郎】 1902年-1965年 8代 淡雪の三男、良三 1940年 10代当主で母の阿さが亡くなったため家督継承するが、 太平洋戦争勃発により幾度も召集される。終戦後、ようやく茶道復活の兆し が出始めた昭和 1954年 病に倒れ、以後は入退院を繰り返し、 家業に専念できぬまま世を去る 【12代 半四郎】 1939年- 11代 良三の次男 陽三。当代土田友湖 寛保四年に現在の地に居を移し、脈々と現在に伝える 【12代 土田友湖 本名:陽三】 土田家11代 土田半四郎氏の次男 1939年昭和14年 生まれ 1965年昭和40年 12代目を継承する 【千家十職の一覧】 ・茶碗師 樂吉左衛門 ・釜師 大西清右衛門 ・塗師 中村宗哲 ・指物師 駒沢利斎 ・金物師 中川浄益 ・袋師 土田友湖 ・表具師 奥村吉兵衛 ・一閑張細工師 飛来一閑 ・竹細工・柄杓師 黒田正玄 ・土風炉・焼物師 西村(永樂)善五郎